ハイパーテキストのはなし

ハイパーテキストにおける「ハイパーリンクのジャンプ」というおこないでおもしろいのは、そのジャンプという「アクション」をプレイヤー自身が行うことによって、ジャンプ前のテキストとジャンプ後のテキストの関係というものを、どうやらかなり強力に「信じてしまう」ことなのかもしれない。
引用元:think-routine#23 ハイパーリンクの縦糸について

久々にブログを更新。極めて趣味的な話を。

この記事に書かれている、ハイパーテキストのリンクとコンテンツが生み出す縦糸が、事実と事実、虚構と虚構を結び付けること、また、それを読む人はある前提さえ認識している状態であれば、盲目的に書かれていることを信じる傾向にあること、それらはおそらく正しいのだと思います。ここでの前提は、そこに書かれていることがゲームの世界観を表現したものだとか、企業内のルールや用語の話だとか、読む上での前提のことを指しており、この前提を読み手が認識するかどうかで、書かれていることが嘘にになったり事実になったりします。

この例はゲームというフィクションの話ですが、自分の記憶も会社内のルールも、本来同じ意味を持つ言葉が、自己解釈によって微妙に意味を変えることは普通にありえます。その際、企業内のマニュアルをハイパーテキストで提供し、一般的な意味と異なる用語にリンクが貼られ、その用語の意味を解説したコンテンツに遷移すれば、その企業内においてどういう意味をもつのか違和感なく理解することができます。

また、情報の整理/参照性においてもハイパーテキストは優れていました。人は、自分の記憶をたどる際、関連しそうなキーワードや自分が過去に作成したコンテンツ、どこかでの会話の内容などから連想して目的の情報にたどり着きます。その連想していく過程がコンテンツを読みながらリンクを辿っていく感覚に似ているわけですね。企業名や商品名を思い出すことは難しくても、商品が紹介されていたブログを思い出すことは出来るのではないでしょうか。

そんなハイパーテキストの可能性を初めて知ったころ、「すげーなハイパーテキスト」と興奮していた覚えがあります。ちょうどそのころWikipediaによって注目され始めていたWikiにも強烈に惹かれ、ハイパーテキストの構築環境とも言えたBTronやその考え方を踏襲したBTMemoを利用したりしました。また、当時のスタートアップの象徴でもあったはてなのはてなダイアリーの考え方がWikiベースで合ったこともあり、ハイパーテキストによる情報の整理は、個人用途も含め、急速に普及していくものだと思っていました。

ところが、思ったほど普及しなかったというのが個人的な感想です。もちろん、Webが生まれてから現在に至るまで、すべてのコンテンツはハイパーテキストで構成されていることは当たり前のことです。Wikiについても、Wikipediaについても、Googleで何を検索しても上位に表示されたり、相変わらず増え続けるコンテンツ量を見てみても、十分すぎるほどに浸透しましたし、ゲームの攻略サイト等では当たり前のようにWikiが活用されています。企業内WikiについてもGoogle SitesやSocialtextが生き残っている点をを見ても、ある程度の市民権を得ているのかもしれません。にもかかわらず、普及していないと感じてしまいます。

おそらく(自分の思考なのに)もっと普通に、ハイパーテキストを使う環境が認知されると思っていたのでしょうね。情報を整理する方法論として、現在のタグやフォルダ構成による整理には限界があると思っていました。情報を整理する上で、フォルダという1つのカテゴリで表現することは不可能ですし、1つのコンテンツに複数のカテゴリを設定可能なタグについても、タグ数が増えるにつれて破綻すると思っていましたし、今でもそう思っています。ハイパーテキストであれば、文脈に応じて同じキーワードを複数のコンテンツを定義することができる(Wikiでは出来ないものが多い)ことと、コンテンツの派生は無限ですから、人の記憶が増えるのと同じ感覚で情報が増えていっても、破綻しない状況を維持出来るのではないかと考えていたからでしょう。

日常的なメモやドキュメント、ブログなど、自分が活動すればするほど、情報が整理され記憶が拡大していく。そんな状況をハイパーテキストを軸にした環境によって構築できる時代が繰るんじゃないかと。ただ現実には、Web上のコンテンツは整理される方向ではなく、よりリッチになっていく道をたどり、個人の情報の整理環境はタグやフォルダによって相変わらず管理されている。スマートデバイスの普及によって情報を取り出す場所や状況の自由度は向上しましたが、整理の手法そのものはそれほど変化していません。

それでも最近は、facebookやTwitterなどのソーシャルグラフと結び付くようになって、「信用できるXXが紹介しているコンテンツだから」という前提が作られやすくなりました。自分の興味や仕事の関連で出会った人たちのシェアによって情報のインプットは大きく改善しました。また、「人」というコンテンツについては、自分の記憶に沿ってfacebookでたどることもできるようになりましたが、まだ「人」に関してのみなんですよね。それ以外の情報に関しては、それほど進化してないような気がします。

理由はなんとなくわかっているのですけどね。業界全体の競争の結果や定着してしまったツールやサービスによって、世界そのものの進化が緩やかになってしまっている例だと思っています。

どこかにこの類のことを情熱的に研究したり、追っていたりする人がまだいるのだろうか。。。